【潰瘍性大腸炎①】高校時代に難病になった話

こんにちは、ヲーメンです。


皆さん潰瘍性大腸炎って知ってますか? 

簡単に言うと難病です。
難しい言い回しは分からないので調べてください、己で。

今現在私は21歳なので、この難病と4,5年くらいの付き合いになります。


このブログでは主に、

「潰瘍性大腸炎についての体験談」
「現在行っている治療法」


について書いていこうと考えています。


潰瘍性大腸炎の記事のみ見たい方は、
カテゴリ『潰瘍性大腸炎』のみ閲覧をお勧めします。

それでは前置きが長くなってしまうので本題に入ります。


目次

初めての異変はトイレ



これは高校2年生の時の話です。
夏休みになり祖母の家がある九州へ行った時の事。

残念ながら私は機械ではなく人間なので、当然の如く腹痛に襲われたりします。
そんな腹痛を抱え私はトイレに。

そして用を足した時です。


「赤ぇ」


そりゃもう驚きました。トイレが真っ赤ですもの。

ただ私は、この時点では親に報告せず

「まあ数日たてば治るだろ」

という謎の思考で九州を去り、東京へ帰ります。

一時的に治るが数か月後・・・


幸か不幸か一時的に治ったんですよね、そりゃ人間油断しますよ。

「ああやっぱ治るよな、痔かなんかだったんだろ」

なんて思ってました。いやもう痔であってほしかった。そこで終わればよかったんです。

が、しかし


現実は非常。
再び血便です。

この時点で流石に

「ただ事じゃないな」

と感じ、親に報告します。
そして病院へ・・・


病院から病院へ



とりあえず内科に行きました。

そこで診察を受けた後、
「別の病院を紹介する」

とのことで父親も通う病院へ。
(ちなみにこの時期、父親も潰瘍性大腸炎が発覚していました)

貧血の症状は既に出ていた


話が少し逸れますがこの時期、
高校でマラソン大会の練習がありました。

私は中高と、運動部に所属していました。

スポーツマンとは言えないものの、
運動をしていたので体力には多少の自信があったのです。


が、
まさかの40人中最下位

ショックと共に

「これ身体にやっぱ異変あるだろ」

と思いました。


そして紹介された病院で言われた一言。

「血液に異常があって貧血で倒れてもおかしくない状況、よく走れたね」


おい


完全にやってしまいました。

私は昔から” もう限界 “
となるレベルまでは何とかやり遂げてしまう癖があります。


完全に出ちゃってました。
最悪マラソン大会の練習で最後尾で倒れ、忘れ去られる可能性もあったレベル。

忘れ去られなくてよかった。
(そうじゃない)


じゃなくて血液よ。


そりゃ血便で血が外に出てしまってる訳です、
内部の血も足りなくなります。

オイルショックならぬブラッドショックです。

かっこいい名前ですね、血液の需要過多です。


そして医師と相談の結果、
私は人生初の

” 内視鏡カメラ “

を試みる事になります・・・


続きは次回。

さて、とりあえず今日はこの辺で。

次回は内視鏡カメラの話になります

なにせブログが初めてなもので、
読みづらい部分などあるかと思います。

頑張って読んでください。

頑張って読んで頂ければ私も頑張って書きます。
win-winな関係を築きましょう。


次回はこちら↓
【潰瘍性大腸炎②】内視鏡(大腸カメラ)の話

他の潰瘍性大腸炎の記事はこちら↓
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